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2005/09/11

蓮如物語 五木寛之著

蓮如、どこかで聞いたことがあったなあ〜というのが正直な感想でした。

「梅原猛の授業 仏教」でも、鎌倉時代に興った浄土教について、浄土教の祖師が法然で、浄土真宗の祖師が親鸞であるとしか書いてありません。法然は、極楽浄土や阿弥陀仏をイメージできるような賢い人か、お寺に寄進できるようなお金持ちなど限られた人しか救われないというという教えを「南無阿弥陀仏」とさえいえばよいというように大きく変えた人です。これによって悪人であっても、罪深き女人であっても救われるということになって信者を大きく増やしたのでした。

しかし、今までの真言宗や天台宗などからみれば、この教えは危険でした。法然は75歳で四国に流されてしまいます。当時の戒律ではお坊さんは妻を娶ってもいけませんし、肉食やお酒を飲むことも禁じられていました。隠れて妻を囲っていたり、般若湯といってお酒を飲んだりしていたお坊さんは多かったのですが、あくまで表面上は取りつくろっていたのです。しかし弟子の親鸞は過激にも戒律は必要ないといって肉食妻帯に踏みきりました。過激さのゆえか、親鸞も越後(いまの新潟)に流されます。

親鸞は念仏の考え方をより深めて「教行信証」という有名な本を書きました。いまでこそ親鸞を知らない人はいないと思いますが、実は一生をほとんど無名で過ごした人でした。

親鸞の子孫である蓮如によって本願寺教団は飛躍的に拡大したのです。「梅原猛の授業 仏教」196ページの注によると

蓮如1415〜99。室町中期、浄土真宗中興の祖。本願寺第八世。北陸・近畿・東国に布教活動を行い、平易な文章と同朋意識の強調により庶民層、とくに農民の間に多くの信者をえて、浄土真宗を一大教団に発展させた。

これだけの貢献者であるにもかかわらず取り上げられているのは少しだけです。

この蓮如について、子どもでも読めるように五木寛之氏が書いたのがこの本です。6歳で生母と生き別れるさびしい体験をした蓮如は、一生を通じて母の言葉である「いいわね。親鸞さまについておゆき。そして、一生かけてお念仏を世間に広めるのですよ」を忘れずに精力的に布教活動を続けます。いやしい身分の母から生まれた蓮如は、40歳を超えるまで部屋住みの身分で待望生活を続けます。第8世本願寺をついでからの活躍は目をみはるばかりです。

子ども向けに書いてあるやさしい本なのですが、大人が読んでもそのすばらしい内容には驚かされます。不覚にも涙があふれてとまらなくなってしまいました。今の時代に忘れられている何かがこの物語の中にある、そんな気持ちになる本でした。

まだ読まれていないみなさん。是非ご一読をおすすめします。

心に残った言葉

一部をとりあげることはできません。この本すべてがすばらしいの一言です

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