胡蝶の夢 司馬遼太郎
泰平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船) たった四杯で夜も眠れず
ペリーの来航で騒然とする幕末。勝海舟が長崎でオランダから海軍の教えを受けているそのとき、同じ長崎で奥御医師(将軍専属の医師)である蘭学者、松本良順もオランダの医師から体系的な医学を学んだ。佐渡出身で良順の弟子、島倉伊之助は、恐ろしいまでの記憶力でオランダ語、英語、ドイツ語、ロシア語などの多国籍の言葉を理解する一方で、一般的な常識を欠くために世の中からはみ出してしまう。漢方医学一辺倒の時代に、蘭学をテコに幕府組織の崩壊の中を生きる二人を中心に物語は進行する。
戊辰戦争で良順は、従軍医師として幕府軍とともに会津へ転戦する。横浜に逃れた後に新政府から許される。伊之助は東京大学の前身で外国人医師の通訳を勤めるものの彼らが帰国するとともに免職。その才能を十分に生かすことなく、若くして肺結核で死去した。
「坂の上の雲」を読んだときも同じような感想をもったのだが、いったい司馬遼太郎は何をいいたかったのだろうか。あらゆるものの価値が大きく変わった明治維新を生き抜いた2人の若者の物語りは、なぜか無常観を与えるだけだったような気がする。時代の荒波にもまれながら人間は何をなしえたのだろうか。一方で栄達した勝海舟のような人もあれば、伊之助のようにさびしく世を去った者もいる。
どんな人生であれ最後は死んでしまう。なにをどうしても結局いっしょじゃないか、というような投げやりな無常観に打ちのめされそうになる。「無常」という言葉には悲観的なニュアンスがある。平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」のように。
しかし仏陀はそのような意味でいったのではないと思う。無常とはただ単に常ならず、万物は変化するという、乾いた意味でいったに違いないと松下幸之助もいっている。
湯王より時代はさがるが、いまから二千五百年前に、お釈迦さまは、諸行無常ということを説いておられる。また、時を同じくしてギリシャのヘラクレイトスという哲学者は、「万物はすべて流転している。太陽ですらも日に新たで今日の太陽はもはやきのうの太陽ではない」と喝破しているということである。そのように洋の東西を問わず、いにしえの聖人、賢人がひとしく日に新たということの大切さをといてるのである。
「指導者の条件 人心の妙味に思う(PHP文庫、松下幸之助著)」より
無常観にとらわれることなく、日にあらたに生きていきたい。
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コメント
おひょうさん、TBありがとうございます。 本を一年間に100冊以上も読まれるとのこと、すごいですね。 胡蝶の夢をかなり読み込まれているのがわかりました。読ませていただいているうちに、自分が夢中で読んでいたときのことを思い出しました。 おひょうさんの「本」の話を楽しみにしています。 これからもよろしくお願いします。
投稿: たっくん | 2005/12/12 23:35