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2005年12月の5件の投稿

2005/12/29

自殺者をなくそう 「中村天風『勝ちぐせ』のセオリー」

ようやく政府も重い腰を上げたのでしょうか。

日本の自殺者は、97年までは2万人台でした。97年の自殺者数は24,931人でしたが、98年に32,863人へと3割以上も急増しました。振り返ってみれば、97年の後半は、山一證券や北海道拓殖銀行などそれまでの常識では考えられないような大手金融機関が倒産する大変な状況でした。

3万人がいかにすごい数字かというのは、交通事故死と比べてみればわかります。今年1年間の全国の交通事故死者数は49年ぶりに7,000人を割り込むことが確実になりました。警察庁によると、27日までの全国の死者数は6,787人で、昨年同期に比べ450人減。死者数は6,751人だった1956年以降、7,000人を上回っていたそうです。実に交通事故死の4倍以上の人が自ら命を断っているのです。

自殺の理由のトップは、健康問題、次が経済的苦境です。金融危機に関連する連鎖倒産も出たりして大変だったことが98年の自殺者急増に影響しているのかもしれません。自殺者の割合は、10万人当たりにすると25.3人になり、G8の中ではロシアについで2番目に多い数字です。

http://www.ncnp-k.go.jp/ikiru-hp/measures/050927_03-1.pdf
(自殺対策関係省庁連絡会議資料より)

政府の対策は、職場や学校のカウンセリングを強化したり、電車のホームに飛び込み防止用のフェンスを張ったり、自殺サイトへのアクセス制限ソフトを配布したりというものです。

厳しい状況に追い込まれても、それに負けない心のケアが必要とされているだと思います。

五木寛之や中村天風や松永安左エ門など先哲の水準までは無理としても、自分なりの考えをもって、乾いた世の中を生き抜いていきたいと思います。

最近、中村天風の文庫を目にします。以前、三笠書房の知的生きかた文庫から「中村天風『勝ちぐせ』のセオリー」が出ていました。絶版になったのか最近本屋ではほとんど見かけませんでした。しょうがないので古本屋で単行本を探したのですが、最近新装新版が出ました。

また文庫で読み直しています。

中村天風の本を、どんどん文庫化、新装新版化をしてもらいたいと思います。少しでも自殺する人が少なくなるのではないでしょうか。(そんなに甘くないとは思いますが・・・)

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2005/12/19

爽やかなる熱情―電力王・松永安左エ門の生涯

松永安左エ門をご存知ない方も多いかもしれない。少し前に文庫版が出たので、5年前に読んだのを思い出した。

福沢諭吉から直接教えを受け、娘婿の福沢桃介と一緒に福松商会で商売を始める。石炭を取り扱い大もうけをして、株でも巨富を築く。しかし相場急落で一転借金を背負う身になってしまう。ここで松永は実業に取り組む。電力の将来性に着目した松永は、九州は福岡で電鉄会社を設立し電力会社と合併して中小の電灯会社を傘下におさめながら、九州・大阪・名古屋の電力をカバーする東邦電力の社長として東京に乗り込む。東京での電力供給について、小林一三率いる東京電灯と厳しい競争を展開し、結局合併に導いたのだ。

第2次世界大戦に入り、電力も全て日本発送電に一本化され、松永は全ての役職を辞して埼玉県の柳瀬に引っ込んでしまう。茶人「耳庵」としての活躍を開始するのはこの頃だ。日本は敗戦を迎え、GHQによる占領が始まった。

これからの日本を支える電力をどうしていくのか。電力の供給体制を決める「電気事業再編成審議会」の委員長に就任した松永は、国内の大半を反対に回しながら粘り強くGHQを説得して、現在の9電力体制を完成させた。その後、設備投資をまかなうために電力料金の大幅値上げを敢行し、世間からは「電力の鬼」と呼ばれる。しかし、世論とはうらはらにその後の日本の発展が、松永の先見性に助けられたことは万人が認めるところである。

明治、大正、昭和を駆け抜けたこのような人、松永安左エ門のようになれたらといつも思っている。

心に残った言葉

けしからん、限界なんかない。そんな考えを持っているから何もなさずに死んでしまう。完全ということはないかもしれんが、完全になろうと努力することが尊いのだ。

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2005/12/12

五木寛之、稲盛和夫「何のために生きるのか」

五木寛之と稲盛和夫という私の好きな2人の対談が本になった。

二人とも昭和七年生まれで第2次世界大戦を潜り抜けてきた。敗戦のときは13歳だった。

五木寛之が全体をリードしている印象が強い。

経済界と文壇という全く違った分野でそれぞれ成功した二人に共通するものがあった。

稲盛はポジティブ派。年を重ねるごとに明るく感謝して一切ネガティブなことは考えない。ネガティブなこころはネガティブなものを呼び寄せてしまうから。私は稲盛の考えに強く共感する。中村天風のポジティブな教えを受けたことも大きく影響しているに違いない。

対して五木寛之はネガティブ派。中村天風ファンとしてはいまひとつなじめないものがあった。しかし五木の原点に植民地からの壮絶な脱出、人にいえないような苦労があった。ネガティブな考えとポジティブな考えはどこかで一回りまわってつながっているという。

温室栽培の、二十四時間人工の光線に照らされているところにいて、そこに一条の光が雲間から射してきたとしても、それを光明と感じて感激することはありません。真っ暗闇のなかで、爪から血が滲むようにして希望を探している。そこへ窓から一筋の光が射してくるから、それを光明と感じて、人は感動するのです。
このことを考えると、暗闇のなかで光に合うということが大事なんだと思います。ですから、僕の言うネガティブというのは、大いなる希望への出発点なんです。

五木寛之のネガティブはただの悲観ではなかった。希望への大きな一歩だった。たましいで結ばれた二人の対談はすばらしい。

(注)敬称を省略させていただきました。ご了承ください。

こころに残った言葉

そのとき私は、言いしれぬ感動を覚えました。布施を施す側に、何の驕りも気負いもありません。もちろん返礼など期待されていません。美しい心根のままに、ただ五百円を差し出されたんです。お布施を受ける私も、その美しい心根に感謝して自然に合掌していました。
あたかも他に善かれかしと願う、美しい「利他」の心が私を包み込み、至福で全身が震え上がるぐらいでした。もうあのくらい幸せなことはないと思いました。あのときの感激は忘れません。座禅をしているときの至福と同じですね。

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2005/12/06

中村天風 心を鍛える言葉 PHP文庫

久々に中村天風の新刊がPHP文庫からでました。

2005年7月3日にこのブログで紹介した「中村天風 銀の言葉 岬龍一郎著(KKベストセラーズ)」がタイトルを改題してPHP文庫からでたのです。

http://takkun555.cocolog-nifty.com/sunaoweblog/2005/07/post_d40d.html

電車の中でも手軽に読める文庫はありがたい。早速買って読み直したいと思います。

今後、どんどん中村天風の本が文庫化されることを期待しています。

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2005/12/05

司馬遼太郎「坂の上の雲」

司馬遼太郎の坂の上の雲は、日露戦争で日本を勝利に導く重大な役割を果たした、秋山兄弟の2人の栄達を描いた物語です。同郷の正岡子規や夏目漱石も登場します。

このブログの2005年11月4日「胡蝶の夢 司馬遼太郎」でも書いたのですが、(http://takkun555.cocolog-nifty.com/sunaoweblog/2005/11/post_e02c.html

坂の上の雲」を読んだときも同じような感想をもったのだが、いったい司馬遼太郎は何をいいたかったのだろうか。あらゆるものの価値が大きく変わった明治維新を生き抜いた2人の若者の物語りは、なぜか無常観を与えるだけだったような気がする。時代の荒波にもまれながら人間は何をなしえたのだろうか。一方で栄達した勝海舟のような人もあれば、伊之助のようにさびしく世を去った者もいる。
たっくんのすなお日記「胡蝶の夢、司馬遼太郎(05年11月4日)」より

栄達物語といいながら、一生懸命に努力しながら報われたかどうかわからないような二人の晩年をみて、割り切れなさと物悲しさを感じたのです。

稲盛和夫、五木寛之著「何のために生きるのか」を読んでようやくわかりました。五木寛之と司馬遼太郎が「坂の上の雲」について話した時のことが書いてあります。司馬遼太郎は、「坂の上の雲」が高度成長期の応援歌のように取り上げられることに違和感をもっていたというのです。

「坂の上の雲」というのは、希望の象徴のように言われているけれども、そうではない。脱亜入欧のなかで、ヨーロッパに学んでアジア諸国をゴボウ抜きにして坂を駆けのぼっていく。峠のてっぺんに立って雲はつかめるか。坂の上の花とか果実だったらつかめるけれども、峠のてっぺんに立ったとき、雲は山のかなたの空遠く、向こうを流れているだけです。

つまり”坂の上の雲”は、永遠に到達することのできない目標という意味なんですね。永遠につかむことのできない夢、ということなのです。ある意味ではニヒルな、クールな視点です。明治の人たちの努力は猿真似であるかもしれない、でもやらなきゃいけないからやっていく。だけど、峠のてっぺんに立ったとき、われわれ日本人は雲をつかめるか。雲は永遠につかめないだろうという、深いアイロニーがあるすばらしい題名ですよね。

五木寛之の説明に、私だけが違和感をいだいたのではない、最初から筆者の意図がそこにあったのだと知って、ほっとしたのでした。

何を成し遂げたかということよりも、自分が人間的にいかに成長したかを人生の目的として生きていけばいいんです。

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