数年前、彼女が翻訳したローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウスの自伝「自省録」を読んだのが神谷美恵子との出会いでした。今回、「生きがいについて」という題名に釣られて買ってみました。
この本を買ったのは、何か自分探しの手助けになるのではないか、という安易な考えからでした。巻末に坪内祐三が「『生きがいについて』を読む前に」という文章を寄せています。彼は「生きがいについて」というタイトルの本に安易に手を出してしまいがちな、私のようなヤワな読者が嫌いです。みすず書房のこの本には「生きがいについて」を書いた時期の日記が収録してあるのですが、彼は「神谷美恵子日記」に目を通して、はじめて「生きがいについて」を読む資格を持つことができるといっています。
坪内祐三があげた二つの引用文を読んでみると
「漸く落ち着いて勉強が出来るようになった。同時に自分の中に、自分のものを生み出したい衝動がうちにみなぎる。今まで勉強したこと、これから勉強すること、それらすべてを、自己の生命に依て燃焼せしめよう。女であって同時に「怪物」に生まれついた以上、その特殊性をせい一杯発揮するのが本当だった。男の人の真似をする必要もなければ女の人の真似をする必要もない。かといって中性で満足しようとする必要もない。傍若無人に自分であろう。女性的な心情も、男性的な知性も、臆病な私も、がむしゃらな野心家の私も、何もかも私の生命に依て燃やしつくそう。誰に遠慮する必要があろう」。 三十歳(1944年)の日記より
「私がもし何か研究したり、創作したりしたとしても、それは決して『人類のために』などではない。そうであって欲しくない。学問や芸術の世界に於ける活動は、極端に言えば、人生に及ぼす影響など考慮していないでいいのだ。少なくとも私は自分が書くものが人にどんな力をおよぼすか知らないし考えたくない」 同年6月5日の日記より
また、1959年12月2日の日記には、「生きているイミというのは要するに一人の人間の精神が感じとるものの中にのみあるのではないか。ああ、私の心はこの長い年月に感じとったもので一杯で苦しいばかりだ。それを学問と芸術の形ですっかり注ぎ出してしまうまでは死ぬわけにも行かない。ほんとの仕事はすべてこれからだというふるい立つ気持ちでじっとしていられない様だ。」
この気持ちはよくわかるような気がします。インプットばかりで自分の中が一杯になってしまって、なんらかの形でこれを出してしまいたい。私は、できればそれが少しでも誰かの役に立つ形になればいいと思うのですが、彼女は違います。自分が研究していることは決して人類のためなどではなく、自分のため、自分がやりたいからやっているだけなのです。それを他人がどう評価しようが、それは問題ではないのです。他者の目を気にしない純粋な自分を探しているのです。
生きがいとは何か。人生に絶望する、そんな気持ちになることもある。らい(ハンセン病)患者との対話の中で、同じ病気にかかっていながら全く違ったこころがまえをもって暮らす人がいる。結局その人がおかれた状況ではなく、その状況をその人がどのように捉えているかで全く違ってしまう。絶望的な状況でさえ、幸福に生きている人がいるのです。
健康な自分がいかに幸せかが痛いほどわかります。自分が気づかないけれどすでに持っているもの、それは健康、職場、家族、そしてまさに今生きていることに気づかせてくれるのです。他人からみると存在している理由がわからないような状態の人でも、やはり存在理由があるのです。
京セラ創業者の稲盛和夫氏は、「地球上・・・いや全宇宙に存在するものすべてが、存在する必要性があって存在している。どんな微小なものであっても、不必要なものはない。人間はもちろんのこと、森羅万象、あらゆるものに存在する理由がある。たとえ道端に生えている雑草一本にしても、あるいは転がっている石ころ一つにしても、そこに存在する必然性があったから存在している。どんなに小さな存在であっても、その存在がなかりせば、この地球や宇宙も成り立たない。存在ということ自体に、そのくらい大きな意味がある」(稲盛和夫の哲学より)といっています。
生きがいとは何なのか、それを失ってしまったらどうしてまた見つけたらよいのか。神谷美恵子のこの本は1966年の出版以来、多くの人を慰めているのかもしれません。
心に残った言葉
人間の最も普遍的で本質的な欲求は「経験の価値属性の増大」を求める傾向である
ほんとうは、おどろきの材料は私たちの身近にみちみちている。少し心をしずめ、心の眼をくもらせている習俗や実利的配慮のちりを払いさえすれば、私たちをとりまく自然界も人間界も、たちまちその相貌を変え、めずらしいものをたくさんみせてくれる。自分や他人の心のなかにあるものもつきぬおもしろさのある風景を示してくれる。
人間の心のなかにある執着、衝動、感情などが、外側のものよりも、なお一層つよく深刻にひとをしばりつける。
ぐちこそいきがい感の最大の敵である。
自尊心と生への責任感が自殺をふみとどまらせるのに役立っている
許されたわずかな時間を最大限に生かし、そこに質的な永遠を打ちたてようとする烈しい意欲である。
自分のかなしみ、またはかなしむ自分に注意を集中している間は、かなしみからぬけ出られない
彼女が彼女なりに過去において生存し、そして現在もまた生存しているというこの事実は、人類にとってなんらかのお役に立つものでなくてはならないと私は思ったのでした。
人間の存在の価値というものは、人格にあり、精神にある
君は決して無用者ではないのだ。君にはどうしても生きていてもらわなければ困る。君でなくてはできないことがあるのだ。ほら、ここに君の手を、君の存在を、待っているものがある。(中略)「自分にもまだ生きている意味があったのだ! 責任と使命とがあったのだ!」
精神の力によって人間は時空を超え、あらゆるところと時代のひとびとと手をつなぐことができる。
ひとが自己を深く掘りさげれば、そこに結局みいだされるものは大いなる他者とでも表現するほかないものであるところからくるかも知れない。
人間の心の奥底には自分すら気づかぬ多くの感情や欲求や観念が沈殿している。それが急に烈しい感情につきあげられ、凝結し、一つのものとして表出されるのであると考えられる。(中略)あるひとはそれを神と表現し、あるひとは自我の奥底に小さな自己を絶する真の自己、「絶対我」をみいだしたといい、あるひとはもっと抽象的に天とか大自然とか宇宙的真理などとよぶ。いずれにしても共通なのは、小さな自己を超えたべつの大きな力との出会いである。
小さな自我に固執していては精神的エネルギーを分散し、消耗するほかなかったものが、自己を超えるものに身を投げ出すことによって初めて建設的に力を使うことができるようになる。これはより高い次元での自力と他力の統合であるといえる。
重要なのは、今自分のうちにあり、自分をとりまくこの大きな力のなかで生きていることなのだ、その力が宇宙万物を支えているのだーー。このような肯定的意識が、単純な楽観主義とちがうところは、深刻な自己否定、現世否定を経、またそれにうらづけられているところにある。
愛の対象にせよ、物質にせよ、地位や名誉にせよ、すべて所有というもののなんとはかなく、もろく、むなしいものであるかを彼は身にしみて知った。
それは人間の生命そのもの、人格そのものから涌きでるものではなかったか。一個の人間として生きとし生けるものと心をかよわせるよろこび。ものの本質をさぐり、考え、学び、理解するよろこび。自然界の、かぎりなくゆたかな形や色や音をこまかく味わいとるよろこび。みずからの生命をそそぎ出して新しい形やイメージをつくり出すよろこび。
生きがいを求める心に、自己の内部にひそんでいる可能性を発揮して自己というものを伸ばしたいという欲求が大きな部分を占めている
(人間の基本的欲求とは)他人の眼に対して業績をあげることや自尊心を保つことが第一の問題ではなく、何よりも自己に対して、自己を正しく実現しているかどうか、に関係した欲求である。
人間はみな自分のいきていることに意味や価値を感じたい欲求があるのだ。
キュルケゴールは日記のなかで「女とは生きるよろこびjoie de vivreなのだ」といっているが、どちらかというと女性のほうが、平凡な生活のなかにささやかないきがい感をみいだすのが得てのようである。
自己に与えられた生命をどのように用いて生きて行くかというその生きかたそのものが、何よりも独自な創造でありうる。
生、病、老、死。仏陀太子を求道へと追いやった人生の四苦は、現代もなお人間生存の厳然たる事実である。
(限界状況下にある人間は)何もかももぎとられた素裸の「ひと」にすぎない。
私たちが悪い病気にもならず、毎日を親しい者のなかで平和に暮らせるということ、それひとつをとってみてもまったくふしぎな「まわりあわせ」で、ただ好運というよりほかはない。
考えるより行動することだ
「一粒の砂のうちにも一つの世界を見、一輪の野草のうちにも一つの天国を見、てのひらに無限をつかみ一時間のなかに永遠を持つ」(ブレイク)
人間の存在意義は、その利用価値や有用性によるものではない。野に咲く花のように、ただ「無償に」存在しているひとも、大きな立場からみたら存在理由があるにちがいない。自分の眼に自分の存在の意味が感じられないひと、他人の眼にもみとめられないようなひとでも。私たちと同じ生をうけた同胞なのである。もし彼らの存在意義が問題になるなら、まず自分の、そして人類全体の存在意義が問われなくてはならない。そもそも宇宙のなかで、人類の生存とはそれほど重要なものであろうか。人類を万物の中心と考え、生物のなかでの「霊長」と考えることからしてすでにこっけいな思いあがりではなかろうか。
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